Research

線虫C. elegansは, わずか302個の神経細胞(=ニューロン)しかもたず, それぞれの細胞に選択的に遺伝子発現, 除去(RNAi), 細胞死誘導, 蛍光発色できる非常に稀なモデル動物です. このような有用性から, GFPの個体レベルでの発現解析に代表されるように, 近年のノーベル賞も多くC. elegansを用いた発見に授与されています.

たった302個のニューロンしかもたないC. elegansですが, 過去の体験(=記憶)に規定された行動を示します.  わたしたちは, 以下に詳述する通り,  新たな行動実験系を確立しながら, 個体レベルと集団レベルの行動の背後に潜む普遍的な物理・化学法則を理解することを目指しています. さらにはその行動を規定する神経回路動態の老化機構を研究しています. 利用する手法は幅広く, 従来の行動遺伝学的手法をベースに,  顕微鏡開発やソフトウエア開発による工学的手法, 分子イメージングや数理モデリング等の生物物理学的手法を用いた研究を行なっています.

・個と集団の行動を規定する普遍則の解明(基盤B、新学術領域研究課題) 「ランダムに振る舞う素子からいかにマクロな秩序構造が生み出されるのか?」- 熱力学第二法則に抗うように見える自己組織化現象は物理学のみならず生物学の分野においても, 魅力的にも関わらずアプローチが困難な問題として古くから議論されてきました. 古典的なモルフォゲン等の情報伝達因子の拡散とは異なる自己組織化現象の1つに, 鳥や魚の群れや混雑時の人間の流れに代表される, 自ら動く素子による秩序形成があります. この分野は近年, アクティブマター物理学と呼ばれ, 現象に応じて様々な数理モデルが提案されてきました. 代表的なものとして, 鳥の群れのような近くの粒子と運動方向を揃える粒子の動きを簡潔に表したVicsekモデル (Vicsek et al. Phys Rev Lett, 1995)が挙げられます. 改変されたVicsekモデルによる集団挙動の予言は分子モーターに駆動されてガラス面を走る微小管集団 やバクテリア集団で確認されていますが, アクティブマターの理論から予言された現象が動物集団で見出され, 解析された例はほとんどありませんでした. そのような中, 我々は線虫C. elegansが集団行動により自己組織的にネットワーク構造を形成することを発見しました. 数値シミュレーションとオプトジェネティクスを含む実験により, この集団行動システムを解析した結果, 動物個体集団による秩序形成は局所的に隣接する個体間の配向を揃えるための相互作用と円軌道を描くように動く運動の2つのシンプルな物理的ルールに依存することが示されました(Sugi* et al. Nature Commun, 2019).
この実験系のさらなる解析を進めた結果, 驚くべきことに, 線虫集団はネットワーク形成後, 一度, 大部分の線虫が運動を停止する凝集塊を作ったのち, 環境変化に応答して線虫の集団が一斉に同期して動き出し, 凝集塊が爆発するかのように崩壊し, その崩壊が近傍の凝集塊の崩壊を誘起することで凝集塊崩壊の伝搬が起こることを見出しました. 現在, この凝集塊の爆発伝播におけるシンクロニシティがどのようなメカニズムで起こるのかを調べており, 数理モデリングにより, 情報伝播による行動の同期現象のメカニズム一般化と物理的ルールの提唱を試みています. また新学術領域研究「ソフトロボット学の創成」の計画研究の1つとして, 線虫集団の行動をオプトジェネティクスにより光で自在に制御し, マイクロマシン集団を制御するためのアルゴリズムの開発を目指しています.
・シングルショットでスキャンレスに3D空間をナノ分解能撮影するライトフィールド顕微鏡の開発(AMED PRIME研究課題) 光学顕微鏡による三次元イメージング技術の開発は常に時間と空間の分解能の向上を追い求めてきました. しかし, 既存の共焦点顕微鏡に代表されるように, 高い空間分解能を得るためには微細な光スポットやプローブを精密に三次元スキャンする必要があり, そこには時間的なロスが生まれます. これが古くから難問とされてきた時間分解能と空間分解能のトレードオフの問題です. 一方, 神経活動など多くの生命現象のダイナミクス(動態)はミリ秒のオーダーを持ち, それらを観察することは現在の生命科学分野の重要な潮流の一つです.   我々は空間スキャンを必要とせず, たった一回のカメラ撮影で三次元像を得られるライトフィールド技術(下図)に着目しました. しかし, 従来のライトフィールド技術はその高い時間分解能とトレードオフに空間分解能が共焦点顕微鏡より10倍から30倍劣るという問題がありました. そこで我々はこのライトフィールド技術の高解像度化技術を開発してきました. そして最近, 共焦点顕微鏡などの既存の三次元計測技術の1,000倍高速にナノオーダーの空間分解能で三次元空間をシングルショットイメージングすることを可能にしました(特願2021-185638). 本研究では現在, 下記のBrain-wideな神経活動計測や、ダイヤモンドナノ粒子を用いた量子センサーなどに応用し,  光学顕微鏡を利用する生命科学分野に革新的なパラダイムシフトをもたらすことを目指しています. また本技術はシングルショットで高解像に3D撮像できるため, 自動運転やロボット産業などへ応用することを視野にベンチャー起業を準備しています.

・超高速全脳イメージングによる力覚応答低下機構の解明(AMED PRIME研究課題) 加齢は感覚機能の衰えをもたらします. その理解にはライフコース上で刺激をパラメータとして振り, 神経ネットワークの情報処理を系の応答として測るシステム生物学的解析が必要です. 本研究では力覚低下機構解明のため, ライフコース上で全脳イメージングを行うため, 上記のライトフィールド顕微鏡を活用しています. さらに得られたデータをもとに, 入力と応答の相図から伝達関数と力学系を推定し機能低下モデルを示することを目指しています. また同時に, 本研究は臨床医学上の重要問題である多くの感覚機能低下を理解する試金石になります.